PCで文章を書くことに関しては「非常に読みやすい」など一定の評価を受けている僕ですが、文章を書けるからといって、現実にそれが頭の良さとして反映されるのかというとそうでもないんですよね。
頭の良し悪しはどんな要素で決まってしまうのか、僕の経験からお話したいと思います。
文章力は頭の良さの根拠としては弱すぎる
俺は昔から頭が悪い、やる気出ない、時間を守れない、部屋を片付けられない、忘れ物が多い。確実にADHDだし立派な障害だから仕方ない、上手く生きようと思ってた。でも一応一度は診てもらおうと今日精神科に行った。しかし結果は「異常なし」。ただ怠惰で能力が低いだけの健常者、それが俺の正体だった
— アナ吉 (@5roume) 2020年7月24日
こんなに読みやすくて起承転結がしっかりしてる文章書けるんだから、少なくとも頭悪いことはない。
— ウーパールーパー (@6CJeRGbkrwQsZp2) 2020年7月27日
素晴らしい文才だと思う。
「昔から頭が悪いのでADHDだと思ってたらただの怠惰な健常者でした」と語るこちらのアナ吉さんに対し「こんなに読みやすい文章が書けるんだから頭悪いわけないですよ!」という擁護をする人がいました。
でも残念ながら、文章をかけることって頭の良し悪しを判断する上では大してアテにならない要素だと僕は考えています。何故なら文章なんて基本的に誰でも書けるんだから。
Twitterやブログに文章を書くときって、基本的にある程度時間に余裕があり、じっくり考えながら文章を作ることができます。そうして時間をかけることさえできれば読みやすい文章なんてある程度は誰でも作れてしまうんです。
一方で現実における仕事やコミュニケーションにはそんな余裕など与えられないことが殆どでしょう。周りのペースに合わせ、短い時間で考えを巡らせ、正しい判断をすることが求められます。こっちの方が断然難しいですよね。
極論を言ってしまえば、文章なんて全く書けなくてもコミュ力が優れてるんならそっちの方が断然人間としての価値は上だと思います。文章力「だけ」があったとしても、プロライターや小説家にでもなれない限りは現実でメリットになることは殆どないんじゃないでしょうか。
仕事で文章力が活かされたのって、精々退職願を書くときくらいでしたからねえ。
その場に合った頭の使い方ができなければバカ扱いです
自分が置かれている状況や就いている仕事に対して、適切な頭の使い方が出来るかどうかも、頭の良し悪しを決める重要な点だと思います。
建設業だと素早く丁寧に効率的に手を動かし、建物を作ることが求められます。ですが僕はこれが全くできないんですね。
いつもいつも目の前の作業に手一杯で効率のいいやり方なんて考えてる余裕もなく、常に非効率なことばかりしてしまうし、釘一本を打つのすらまともにできません。言われた指示を頭の中で噛み砕いて組み立てるのも苦手だから、いつも頓珍漢なことばかりしてしまうのです。
「なんでこんなこともわからないの? 馬鹿なの? ちょっとは考えろよ」と毎日呆れられ怒られ、正直非常にしんどいです。そして文章を書く機会なんて皆無なので文章力が役に立つ機会など今の仕事では全くありません。
このように自分が今置かれている状況に見合った頭の使い方ができなければ頭の悪い人間とみなされてしまい、常に惨めな気持ちで生きなければならなくなるのです。
頭の悪さを治すのは、多分無理
頭の悪さを治す方法はネットでいくらでも見つかるし、そんなビジネス書も沢山ありますが、僕はそのどれも効果がありませんでした。
脳トレをやってみたり、思考力を鍛える~みたいな本に手を出しても、サプリを飲んでみたりしてもまるで改善の兆しがありません。希望の光だと思ってたADHDの薬も最近はあまり効果を感じてるとは思えない状況が続いています。
僕の場合は発達障害の検査を受けたときに「作業能力が低い」なんて判定をされてしまう程なので、肉体労働に必要なスペックに対して元々のスペックがかなり低いのかもしれません。しかしそれを理由に仕事を辞めたいと言っても「甘ったれるな、努力が足りないんだ、努力しろ」と言われるばかりで、抜け出せるような見込みもないのが現状です。
まとめ 正しい頭の使い方ができる場所を探そう
「文章力は頭の良さの根拠として弱い」「今いる場所に適した頭の使い方ができなければバカ扱い」「頭の悪さを治すのは難しい」ということをお話させていただきました。
自分が頭が悪いと感じてしまっている人は、自分の頭を正しく扱える場所にいないことが原因かもしれません。なので自由に動けるうちに、正しい頭の使い方ができる場所を探した方がいいでしょう。
僕の場合は、なるべく働くことを遠ざけるセミリタイアか、文章力を突き詰めてライターにでもなれれば……と考えています。しかし今の僕では夢の又夢のような話でしょう。
自分に適した場所とそこで生きていける力を身に付けるのを夢見ながら、今後も仕事に打ちのめされていくのでしょうね。