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自分の意思で生きてますか? 「人造人間ハカイダー」の魅力

出展 東映 人造人間ハカイダー 1995年

貴方は自分の意思を持って生きていますか?

突然おかしなことを言ってしまいましたが、そんな疑問を突きつける1995年の映画「人造人間ハカイダー」について語りたいと思います。

 

 

 

 

 

破壊の権化、ハカイダーのカッコよさ

本作の魅力は、主役である戦闘用ロボット・ハカイダーの無慈悲なまでの力強さです。

物語の舞台は戦争などにより荒廃が進んだ近未来で、唯一平和が保たれているジーザスタウンという国。ですがその平和は恐怖政治によってもたらされた偽りの平和でした。

国の意向に逆う者は脳を弄られて廃人にされるか、軍隊によって抹殺されるしかない典型的なディストピア、それがジーザスタウンの実態なのです。

ハカイダーはそんなジーザスタウンで開発されながら、制御不能の失敗作という烙印を捺され、廃棄された戦闘用ロボット。運命のいたずらで再起動を果たしたハカイダーは、反政府ゲリラの少女、カオルと出会い、ジーザスタウンに戦いを挑むことになるのです。

ここまで書くとハカイダーは救世主のように見えますが、実際にはそんなことはありません。ハカイダーは「自分勝手な秩序や正義を押し付け、自由を奪おうとする者」を唾棄すべき敵として憎んでいます。そしてジーザスタウンから攻撃を受けたことで「やられたらやり返す、倍返しだ!」とばかりにお返しとしてジーザスタウンを敵とみなし、報復に打って出ただけなのです。なのでやってることはテロリストと大差ありません。作中で自分が正義と語る敵に対し「貴様が正義なら、俺は悪だ」と切り返したことからも、ハカイダーには正義感など持ち合わせていないことがはっきり描写されています。

そして立ちはだかる敵を情け容赦なく、圧倒的な戦闘力で叩き潰していく様子は、ハカイダーの名に恥じぬ破壊の権化としか言いようがありません。

悪を背負い、歪んだ秩序を否定し、徹底的に破壊するその力強さと誰にも制御などできない獰猛さ、それがハカイダーのカッコよさなのです。

 

非情さの中に垣間見る、ハカイダーの生き様

秩序なんかクソ食らえ、名実ともに無敵の人のようなハカイダーですが、その狂気じみた戦闘力は、あくまでも身に振る火の粉を払う為に用いられます。

敵意を向けた相手には容赦しませんが、それ以外の状態では寡黙な人間の姿をしていて、決してその暴力をひけらかしたり、私利私欲の為に用いることはありません(ジーザスタウンの法は思いっきり犯しておりますが)。

そしてハカイダージーザスタウンに囚われていた少年に対し「自らの意思で生きるか?」と問い掛け、自分の意思を強く示した少年に、静かに救いの手を差し伸べます。

冷酷無慈悲なハカイダーですが、自らの意思を持ち、生きようとする者には手を差し伸べる情も持ち合わせているのです。

そうして歪んだ秩序を破壊し、裁く者という自らに課した使命を愚直に貫き続ける、そんなハカイダーの生き様にはある種の男気のような物すら感じてしまいます。

 

 

自分の意思を持たぬなら、生きていても仕方あるまい!

ハカイダーの強襲によって叩きのめされた敵の一人が「俺はただ、上からの命令で……」と許しを乞うをするシーンがありますが、ハカイダーはそんな命乞いを「自分の意思を持たぬなら、生きていても仕方あるまい!」と一蹴します。

このシーンは僕にとっては非常に強烈でした。

かくいう僕自身、今まで周りに流されっ放しで生きてきたからです。

進学も就職も、家族や学校から「ここに行った方がいい」と言われた場所に進み、その後も周りから「お前はこうした方がいい」「それはお前には無理だ」と言われてはそれに従う人生を歩んでいた気がします。

ネットでインフルエンサーの言葉に流されて様々な商材に手を出し、ただ金を失っただけということも多々ありました。

現在実家に戻って仕事をしているのも、姉に「実家に戻ってきたら?」と勧められてよく考えずにそれを受け入れたからでした。

戻って良かったと思うこともあるものの、仕事はしんどいし気持ちの面でも苦しいことも多々あり、安易に戻るべきではなかったと後悔してることも多いです。

周りに意見を求めるばかりではなく、もっと自分で考えて行動していれば……と悔やむことだらけです。

尤も、自分の意思で動いたら余計ひどいことになってしまったことも多々あるので、自分の意思で動いたことが必ずしも正解とは限らなかったのですが……

 

とはいえ、今の世の中で自分の意思を貫いて生きるというのは難しく、自分の意思など捨てた方が楽に生きられることも多々あります。

僕のような無能で軟弱な人間が下手に自分の意思なんて持とうとしても痛い目を見るだけでしょう。

 

だからこそ、立ちはだかる敵は問答無用で叩きのめし、死をも恐れぬ覚悟で突き進むハカイダーの姿に、どうしようもなく憧れてしまうのですが。

 

まとめ この格好良さは色あせない

「人造人間ハカイダー」は30年近く前の映画ということもあり、今見ると流石に古臭さを感じてしまう部分が多々あります。

ハカイダーもやってることは前述の通りほぼテロリストも同然なので、人によってはあまり共感できないキャラクターかもしれません。

ですが後に牙狼シリーズで腕を揮う雨宮慶太監督のこだわりが感じられる見所も多く、何者にも支配できないハカイダーの力強い生き様の格好良さは、今見ても色あせることはありません。

僕のように人生を流されてながら無気力に生きている人には特に、強烈に突き刺さるものがあるかもしれないので、是非おすすめしたい作品です。