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色々と終わってるアラサー男が迷走するブログ

コミュ障を考える

 コミュ障に悩む人は今の世の中とても多いでしょう。

 かくいう僕もコミュ障で社会に出た頃からずっとつまづき続けていて、なんとか克服したいと思って色々手を打ったものの、未だに改善の見込みがありません。

 そんな僕が考えるコミュ障について書いていこうと思います。

 

コミュ障=コミュニケーションの概念が頭から無意識にすっぽ抜けてしまう人

 コミュ障の定義なんて人それぞれでしょうしどんなことで苦しんでるかも千差万別なので定義づけなんて意味はないと思いますが、僕が該当するタイプ、そしてコミュ障って言えるのはこの「コミュニケーションの概念が頭から無意識にすっぽ抜けてしまう人」だと思うんです

 僕の仕事での実体験で説明します。

 過去に現場監督をしていたことがあったんですが、現場に僕しかいないときに親会社の人から「この看板を現場に設置してくれ」と頼まれたんです。

 今まで現場でやったことのない仕事だったのですが、そういう時って普通の人なら「これどうやるんやろうなあ?」

 と疑問に抱き、上司に相談するなどのコミュニケーションを取ろうとしますよね?

 

 でもその時の僕は「これどうやるんだろ?」という疑問も「上司に相談」というコミュニケーションを取るという概念もこれっぽっちも頭に浮かび上がりませんでした。

 

 そして「看板だからこう設置するんだろうな」と自分の中で勝手に完結させて勝手に判断して作業を行った結果、親会社の人からは「なんだあの設置の仕方は!」と、上司からは「なんで俺に相談しなかったんだ!」と大目玉を食らってしまいました。

 

 しかしこの時僕は

「え!? これって自分で判断しちゃダメだったの!? 相談しないといけないことだったの!?」

 と素で驚いていました。

 

 社会人になるとこのように「自分で判断してはいけない、自分以外の人に確認した方がいい状況」というのに往々にしてぶつかりますが、僕はその後も同じように自分だけで判断してはいけない状況でも自分以外の人とコミュニケーションを取るという概念がこれっぽっちも頭に浮かばず、自分だけで判断して失敗するということを度々起こしてしまっています。

 

 こうした失敗は「これどうしますか?」と上司や先輩に一声かければ大体無事に解決するものが殆どですがそういう思考がそもそも浮かばない、そして悪気はなくても自分の中で勝手に判断して失敗してしまう僕のような人を「コミュニケーションの概念が頭からすっぽり抜け落ちてしまう人」つまりコミュ障というのではないでしょうか。

 

コミュ障を克服する方法

 こう書いていると「これってただの自己中じゃねえか?」と思ってしまいますが自己中と言われても否定できません。

 そしてこのコミュ障を克服する方法ですが、特効薬のようなものは恐らく存在しません。

 

 ・何度も失敗して痛い目を見ながら「これは自分で判断しちゃいけないことだ」というラインを自分に覚えさせる。

 ・疑問に思ったら自分で判断する前に一声かける癖をつける。

 

 こうして地道に「どこでコミュニケーションが必要か」とパッと思いつけるようになるまで時間がかかっても繰り返し習慣づけるしかないでしょう。

 普通の人はこんなことで悩む必要ないんだけどね!

 

 ただ、自分のせいとはいえ何度も失敗して叱責を受ければ精神はすり減るし怒る人達にも愛想を尽かされて相手にされなくなることも大いにあり得るので難しいのですが。

 そしてこういう悪い状態が積み重なると「自分だけでは判断してはいけない状況」に遭遇したとしても「判断を仰ぎたくても聞きづらい……」と萎縮してしまい、余計にコミュニケーションが取れなくなる悪循環に陥ってしまう可能性もあります。

 

 どうしても苦しい場合は「自分で判断しなければいけない状況が極力存在しない、マニュアルが徹底された仕事」を探して転職した方がいいかもしれません。

 

仕事に支障がなければ気に病む必要はないと思う

 今の僕のように「コミュニケーションの概念が頭からすっぽり抜け落ちてしまう人」みたいな仕事に支障をきたす重度のレベルには至っていないのなら、個人的にはコミュ障であってもそんな問題ないのでは? と思います。

 勿論仕事には問題なくても苦しい人だっているでしょうし、コミュ障だと色々損をしてしまうのも事実だと思うんですが、コミュ障を克服するって簡単なことじゃないし結構長い苦行の道のりになると思うんですよ。

 コミュ障を克服する方法ってネットでうんざりする程溢れてますけど「コミュ障克服は簡単!」なんてやり方も言う程簡単には出来ないと思います。

 最近の僕がそうですが、コミュニケーションの代わりに自分が苦しまずにできることを伸ばしていく方向に力を使うのもアリではないでしょうか。