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色々と終わってるアラサー男が迷走するブログ

ファイト・クラブと依存症

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 アマプラでファイト・クラブを観ました

 名前だけは以前から知っていたものの、人生よよよさんが紹介していたのを見て一気に興味が沸き、視聴したのですが……ネタバレで内容はある程度知っていたものの、想像以上にイカれた過激な世界が待っていました

殴り合いで成長する物語と思いきや……

 主人公の「僕」は自動車メーカーのリコール調査担当者として、不眠症に悩まされながら飛行機であちこちを飛び回っていました。

 ストレス解消の為に高級な家具を買い漁り、それが心の支えとなっていた「僕」ですが、ある日住んでいたアパートで爆発事故が起こり、大切にしていた家具もろとも住む場所を失った「僕」は破天荒だけど何物にも縛られない自由な男・タイラーと出会います。

「お前は物に支配されている」とタイラーに指摘され、タイラーと殴り合った「僕」は痛みを通して生きていることを実感し、タイラーと意気投合して彼の家に転がり込み、殴り合いでこれまでにない充実感を得たのをヒントに男たちが立場も肩書も捨てて殴り合う社交場「ファイト・クラブ」を作りました。

 全てをかなぐり捨てて裸で殴り合うファイト・クラブは鬱屈した日々を送る男達の生きる糧となり、「僕」も痣だらけになりながらも充実した日々を送れるようになったのですが、ファイト・クラブにのめり込めばのめり込む程「僕」の言動は荒れたものになっていきます。

 そしてタイラーも反社会的な言動が過激化していき、純粋に殴り合いを楽しむ場だったファイト・クラブもタイラーを中心にしたテロリストのような異様な様相を見せるようになり、タイラーと対立することになった「僕」は驚きの真実を知ることになりました。

 

 この映画も既に多くのファンが考察をしているので今更ネタバレを避けても無意味と思いますが、殴り合いを通じて冴えないサラリーマンが成長するような話に見せかけて、どんどん世界が歪んで狂った方向に話が進んでいくのには思考が追いつかなくなりました。

 一方で男たちが裸でぶつかり合うシーンの熱気は凄まじく、喧嘩とは無縁な僕のような軟弱者の僕でも血沸き肉躍るような錯覚を覚える気迫がありました。 

 

 ヤンキー映画を見たら自分も強くなった気がして興奮すると言っていた同級生の言葉が、10年越しくらいに理解できた気がします。

 

生を実感することが依存症を解決する?

 前回の記事でも書きましたが、僕は重度の美少女フィギュア依存症の人間であり、同じく物に支配された人間である「僕」が物に縛られない破天荒な人間であるタイラーとの殴り合いによって物に支配された人生観を破壊されていく様は他人事のようには思えませんでした。

 家ごと家具が吹っ飛ぶという衝撃体験からの、拳のぶつかり合いで得た痛みというリアルに生きていることを実感させる体験が、家具を買うことに依存して腑抜けていた「僕」に生きる力を与えたとも思えます。

 

 これを考えると、依存症に陥る人って実生活の中で生きていることを実感できず、その代わりとして強烈な快楽や興奮を得られるものを求めて依存症に陥るのではないかと感じます。

 

 なので依存症を克服するのなら依存の対象を取り上げるだけではなく、生きていることを実感する手段を得た上で依存していたものへの執着をなくしていくようにしないと、また空虚な気持ちに耐えられず依存症に逆戻りしてしまうのでしょう。

 

 かと言って、そんな体験をそうそう用意できるかというと難しいですよね

 

 僕だっていくら依存症克服の為だと言っても部屋ごとフィギュアを吹き飛ばすなんて真似はできないし、痛いのも嫌だから殴られたことで生きてる実感をすることなんて多分できないでしょう。

 仕事で殴られても「僕」みたくポジティブな気持ちになれなかったし!

 

 男同士の殴り合いは見てる分には血沸き肉躍るものだけど、自分でそれをやるにはハードルが高いですねえ。