産まれた家の環境によってその後の人生が決定してしまう「親ガチャ」という言葉、ネットをやっていれば誰しもが一度は聞いたことあると思いますが、僕のこの言葉に対する考えや疑問を書いていきたいと思います。
僕の親ガチャは当たりだった
まず初めに言うと、僕の家庭は比較的裕福な方で、金銭的な面での親ガチャは間違いなく「当たり」でした。
父親は重機のオペレーターとして長年勤めていて給料は高かったし、僕自身も何不自由なく子供時代を過ごすことができましたし、情けない話ですが社会人になってからも度々父親に金銭的な援助をしてもらって助けてもらったこともありました。
今この文章を書いてるノートPCを買えたのも父のおかげでしたし、フリーター生活のツケで膨らんだ50万くらいの借金も父のおかげで返済することができました。
父は昨年急逝しましたが兄弟4人で分けても少なくない遺産を残してくれましたし、実家のローンも払い終わっていたので今は僕がタダで使わせてもらっています。
金銭面で言うならかなり恵まれた境遇にいるのは間違いないです。
ただその代償か、父は現役時代は家庭を顧みない人だったようで性格も偏屈なところがあり、姉からは「毒を持った親」と言われる程度には人格に難があったのも事実です。
僕はかなり甘やかされた方ですがよくわからんタイミングで急に怒りだしたり、なにか失敗をする度に「お前は昔から〇〇だった! だからダメなんだ!」と過去の失敗をほじくり返してああだこうだ言われることが多々あったので、思い返すと正直むかっ腹が立つことが今でもあります。
これは僕の無能さ、要領の悪さに起因するので仕方ないことではあったのですが。
それを差し引いても僕が享受しているものを考えれば、間違いなく親ガチャは当たりだったと言って間違いないでしょう。
全部家族のおかげじゃないのか?
父はサラリーマンとしては間違いなく立派な人間でしたが、一方で僕はこれまで散々書いてきたようにどうしようもない無能な人間です。
本来ならどうしようもない底辺として地べたを這いつくばっているか、早々に社会から淘汰されてこの世から消えていなければならないかもしれないような人間です。
それなのに家庭環境が恵まれていたお陰で死ぬこともなく今日ものうのうと生きていることができています。
セミリタイアなどの生き方を模索できるのも父が遺してくれたもののおかげで余裕があるからであって、そうした余裕がなければ今も未来に向けてもなんの行動も起こせず、ただただ地面をのたうち回る虫みたいな生き方しかできなかっただろうと思います。
そしてこの先僕がなにか優れた力を得ることができたとしてもそれは父が遺してくれたものがあってこそであり僕自身の力では全くない、親の七光りも同然なのかなと考えてしまい、そんな他人のふんどしで勝負している奴がこの先発信する情報になんの有益性がある? と考えてしまうのです。
自分の力なんてたかが知れてると自覚する
君は綺麗なアヒルの子という漫画があります。
醜い容姿のせいで誰からも愛されない主人公の芹が、親の死によって得た多額の保険金で全身整形を行い、人生をやり直そうとする話です。
整形によって別人のような美貌を手に入れた芹は幸福な人生を手に入れる……とはいかず整形による葛藤も抱えることになってしまい、悩みながらも芹は人間的に成長していきます。
それができたのは両親が死んだことによる保険金があったからであり、その金がなければ芹はそうした成長をや幸福を得られることもなく、その後も灰色の人生を歩み続けたでしょう。
芹の両親はどうしようもない毒親でしたが、自分の力だけでは芹は人生を切り開けなかったと考えると、人生においては他者の力によるブーストをどれだけ受けられるかが重要で、そうした外部からの力を含めない自分自身だけの力など、大概はたかがしれている微々たるものなのかもしれません。
人生が上手く行っても「たまたま環境に恵まれていただけ。俺自身の力だけではどうにもならなかった」と自分の力を過大評価せず、安易に自分の成功論を押し付けないことが大切だと思います。